大阪市立美術館

美術館について

美術館の歩み

美術館の歩み

大阪市立美術館は、市民が優れた美術文化に接する機会を提供し、生活に潤いをもたらすとともに、美術家の活動を助成し、広く大阪の文化振興に資することを目的として、昭和11年5月に開館しました。
場所は天王寺公園の中に位置していますが、その敷地は住友家の本邸があった所で、美術館の建設を目的に庭園(慶沢園)とともに大阪市に寄贈されたものです。
建物は、地上3階、地下3階からなり、設立当初の本館と、平成4年に美術館の正面地下に新設した天王寺ギャラリー(旧地下展覧会室)で構成されています。
本館展示室では、特別展や企画展示を開催しています。企画展示では購入や寄贈によって集まった日本・中国の絵画・彫刻・工芸など8700件をこえる館蔵品と、社寺などから寄託された作品を随時陳列しています。これらの作品には国宝や重要文化財に指定された作品も多く、貴重な作品をご覧いただくことができます。また天王寺ギャラリー(旧地下展覧会室)では、常時様々な美術団体が主催する展覧会を開催しています。本館3階には美術研究所があり、素描の実技研究など、教育普及活動を行っています。

美術館の歩み略年譜

略年譜
大正 9 年 3月30日、市議会の決議により美術館設立が議決される
4月、設立のための調査委員会が設置される
大正 10 年 12月、住友家が美術館建設を条件に茶臼山本邸寄付を大阪市に申し出る
昭和 3 年 美術館地鎮祭が行われる
昭和 4 年 美術館上棟式
昭和 5 年 鉄筋コンクリート工事が竣工するが、世界恐慌により工事中断
昭和 9 年 美術館工事再開、外装工事が竣工
昭和 11 年 5月1日、大阪市立美術館開館 落成記念展は「改組第一回帝国美術展」
昭和 17 年 阿部コレクション中国絵画の寄贈を受ける
陸軍による接収をうける
昭和 18 年 小西家旧蔵光琳資料の寄贈をうける
昭和 19 年 住友家より関西邦画展出品作の寄贈を受ける
昭和 20 年 第二次世界大戦終戦連合国軍による接収を受け、事務所を移転する
昭和 21 年 寄寓先の旧精華国民学校内に美術研究所を開く
昭和 22 年 美術館接収解除される
昭和 23 年 美術館での展示活動を再開する
昭和 26 年 博物館法の制定により教育委員会に移管される
昭和 52 年 大改修を行う(昭和54年度まで )
山口コレクション中国仏教彫刻・工芸の譲渡を受ける(昭和53年度まで)
昭和 55 年 田万コレクションの寄贈を受ける
昭和 56 年 カザールコレクション漆工の譲渡を受ける(昭和59年度まで)
昭和 62 年 天王寺公園が有料化される
南館の美術団体展展覧会場の一部がアベノベルタに移転し、それに伴い本館南館の一部が常設展示会場となる
平成 4 年 美術館正面 地下に展覧会室を新設し、南館とアベノベルタの美術団体展展覧会場を統合移転する。南館は常設展示会場となる
平成 7 年 小野コレクション中国石仏の譲渡を受ける(平成14年度まで)
平成 9 年 南館2階陳列室を改修する(平成10年度まで)
平成 11 年 南館1階陳列室の一部を改修する
平成 17 年 「人にやさしい街づくり」事業にて、スロープ・乗用エレベーターなどの整備を行う
平成 27 年 登録有形文化財(建造物)に登録される
令和 7 年 3月、2年5ヶ月にわたる大規模改修工事を終え、リニューアルオープン

館長メッセージ

館長メッセージ

令和7年3月1日、開館以来初めてとなる大規模改修を終え、大阪市立美術館は2年5カ月ぶりに皆さんのもとに戻ってまいります。「生まれ変わった」というより「本来の輝きを取り戻した」と私は感じています。

 改修中たくさんの発見がありました。戦後美術館を接収していたGHQによる壁面の落書きなどもそうですが、一番は「オリジナル」が予想以上に残っていたことです。今回、耐震に問題のある中央ホールのシャンデリア(昭和50年代設置)を降ろしましたが、シャンデリアと同時期に張られた天井をはがすと奥からオリジナルの天井が現れました。白いしっくいで作られた、簡素ながらも美しい天井です。改修ではこのようなオリジナルは可能な限り活用し、創建時の姿に近づけました。

 改修コンセプトの一つは「ひらかれた美術館」。いささか使い古された言葉ですが、今でも美術館や博物館は敷居が高いと言われることがあります。そこで、まず足を向けていただこうと考え、中央ホールを無料ゾーンといたしました。入ってから気になる展覧会や惹かれる作品があれば、ぜひ展示会場にも足を延ばしてください。「ひらかれた」にはもう一つ別の取組みがあります。改修前は特別展の前後、展示替えのためにそれぞれ数週間休館していましたが、改修後は休館せずに開館できるようになります。これにより、改修前の約1.5倍に当たる年間300日ほど「開く」ことが可能となります。

 では肝心の展覧会はどのように変わるのでしょうか。まず1階を企画展示、2階を特別展の会場とします。企画展示は当館のコレクションから、毎回テーマを変えて作品を選んで展示いたします。また、世界的なコレクションとして知られる中国の石仏や絵画、貴重な日本の仏教美術、絵画、工芸品などのほか、超絶技巧の印籠や根付などをご覧いただけます。また、当館の特別展はこれまでにも多くの美術ファンから高い評価をいただいてきました。これからも東洋、日本美術から西洋美術にいたる幅広い分野の特別展を開催してまいります。

 大正時代の末、大阪市立美術館設立の準備委員会において展示と収集の方針が決まりました(委員には森鴎外もいます)。展示品は「純粋美術」(彫刻や絵画など)を軸に「応用美術」(工芸品)を加え、古美術を主としつつも近代美術も展示し、さらに美術品の国籍は洋の東西を問わないとなりました。一言でいえばあらゆる美術品を展示するという方針です。100年を経て少なからず修正は必要ですが、私は開幕時の理想は大事にしたいと考えています。これからも皆さまが日本の美術を楽しみ、また各国の美術を探訪する橋渡しとなるよう尽力してまいる所存です。

プロフィール 内藤 栄(ないとう さかえ)

1960年埼玉県生まれ。筑波大学大学院博士課程芸術学研究科退学。サントリー美術館で8年間学芸員として務め、「オランダ美術と日本」展や「女神たちの日本」展などを企画した。35歳で奈良国立博物館に移り、工芸室長、工芸考古室長、学芸部長などを歴任した。同館では毎年秋に開催される正倉院展を長年担当したほか、「仏舎利と宝珠」、「古密教」、「白鳳」、「糸のみほとけ」などの特別展を企画した。専門は仏教工芸史で、仏舎利の信仰に関わる美術工芸、密教工芸、正倉院宝物に対して特に関心を持って研究している。45歳で筑波大学より舎利荘厳美術の研究で博士号(芸術学)を授与された。著書に『舎利荘厳美術の研究』(2010年、第22回國華賞受賞)、『舎利と宝珠』(2011年)がある。

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